現代から高度成長期時代へタイムスリップ
2013年08月07日今年は梅雨明けが早く夏日の暑さにグッタリしています。最近大きな感動に廻りあえておりません。このままではいけない!さて、どうしようか・・と考えていると昔の思い出が頭の中を通り過ぎりました。「そうか~あんな時もあったな~、本当だね~」と1人で頷きながら、年輪を重ねて来た分、人生はあっという間に過ぎてしまうんだなぁという思いに更けていました。
昭和30年代、日本が高度成長期真っ盛りの中、私自身も小学校~中学校~高校と子供から少女、女性と成長していきました。現在の少子化で育った子供達とは全く違った環境で育ち、思いふけって回想した中から、私の子ども時代のことを少しお話します。
私の家族は、2世代家族が同居する11人で兄妹は7人!子沢山の家庭でした。兄妹とは年の差もありましたので、小学校の時には私を含め4人の兄妹で過ごしました。勉強机は2つしかなく、順番で宿題をしなければいけません。遊んでいても、机が空かないかと常にチラチラと気にしていなければならず、それがとても嫌でした。気にしていないと机が使えないため、両親に「何故机を買ってくれないのか?」と文句を言うと、「この狭い家に机を買ったら何処に置くのか、どうやって寝るのか?考えてごらん!」と言われ、「あっ、そうか~仕方ない。我慢しなきゃいけないか・・」と納得して諦めるしかありませんでした。でも、一番納得した両親の言葉で「姉ちゃん、兄ちゃんが我慢しているのに何故あんたは我慢できないのか?我慢力が足りん。そういう事ではあんたは人生生きて行けん。姉ちゃんや兄ちゃんに聞いてごらん!」でした。この言葉を言われると何も言えなくなる。傍で聞いていた姉と兄からは、「これが人生たい。仕方なかよ。母ちゃんの言う事は間違っとらんけん。聞かなんたい。きっと良い事もあるけん。我慢せなんよ。」と言われました。この時は、姉と兄の言葉が妙に心に響き納得できました。
夏休みに入ると、友達は家族で旅行に行ったりキャンプをしたりして過ごし、小さい小物のお土産を良く貰いました。友達の楽しい思い出を聞いていると更に羨ましさが増し、「あ~あ、私も行きたか~」と心の中で呟いていました。実際家族が多い我が家は絶対無理という事は自覚していたので言葉に出す事はしませんでした。また、あきらめていましたのでさほど辛いとも感じませんでしたし、逆に母の手伝いをしなければいけないと思っていました。母が、何時も家事に追われている事、祖父母の面倒で疲れている母の苦労を間の当たりに見ていたので、自分は旅行に行ける様な立場ではないし母を労わらなければ母が可哀想なのだから・・と思っていました。私の家庭だけでなく、あの時代で育った世代は皆同じ様な環境でした。裕福な家庭で育った子供は一握りだった様に感じます。
家族が多い事で自慢もあります。それは運動会です。とても賑やかな運動会でした。朝早く父が井草の敷物を持って場所取りに行き、母は夜中の3時頃から起きて巻き寿司、稲荷寿司、おにぎり、から揚げ、卵焼き、ウインナー、蒲鉾、梨、早生ミカン等の準備をしていました。正月以来のご馳走なので皆大喜び!1年間の楽しみな行事の1つでした。かけっこの得意な私はいつも1番でした。走っていると姉、兄、妹達が大声で応援してくれ手を振ってくれるのです。母は使わなくなった鍋やフライパン、等をスリコギでバンバン叩き、私の名前を呼び応援してくれました。涙が出るほど嬉しくこの時の母が大好きでした。今でも母の顔が目に浮かびます。忘れる事が出来ません。勿論、私ばかりでなく姉、兄、妹全員への応援ですから母は大忙しでした。昼食も近所の皆で和気藹々!お互いお裾分けしながら食べていました。父はビールや焼酎をのみ過ぎて寝てしまい午後の種目は殆ど寝ていました。本当に懐かしい思い出です。昭和30年後半以降の日本はこんな時代でした。今と違って「情」があったと思います。思い出は茜色ですが私の記憶は鮮明に残っています。
あれから半世紀以上の時が経ち、時代は大きく変わりました。私の子どもの頃は、学校の先生以外に両親と姉、兄、ご近所の小父さんや小母さんが社会のルールを教えてくれました。現在は少子化・核家族が進み、ご近所付合いも殆どなく義理や人情・命の大事さが希薄しています。昨今の事件はそんなことに関連している事を多く感じます。これも時代の変化なのでしょうか。
随分と思い出話に花を咲かせてしまいしたが、入院患者さん1人ひとりがいろんな時代・経験を過ごされてきたと思います。寝たきりの患者さんに声をかけると発語は無くても涙をすぅ-と流されたことがありました。いろいろな思いがきっとその涙には詰まっているのだろうと思います。私は、年齢や生育環境は違っていても“その人を受止め・敬い・労わる”ことがとても大切なことで、看護にも欠かせないものだと思っています。そのためか、ご高齢の患者さんを看ると、自分の両親と重ねていることが度々あります。やはり人生の先輩への敬う心は忘れたくありませんね。これからもこのスタンスを崩さずに看護に携わっていこうと思います。
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